Hello, World. 私は元気です。

これは、3年ほど前に参加した脚本教室で作成した作品です。色々と拙いですが、頑張って書いたし、せっかくなので公開します(貧乏性)。

「暇で仕方がないッ!」という時にでもどうぞ。

登場人物
 ミチル  ちょっと変わった女の子。誰とでもよく喋り、明るく活発な性格。
 マスター 七十歳くらいの見た目をしたお茶目な男性。
 光井良子 ミチルに導かれて不思議な本屋にやってきた女性。
 光井耕平 良子の夫。
 光井さくら 良子の長女。下校途中の交通事故により死亡。
 光井みお 良子の次女。小学生。
 ハツ子  良子の母親。

※         ※          ※

場所 本屋の中

 四方に備え付けられた木製の本棚には、大きさも厚さも様々な本がぎっしりと詰まっている。
 奥のカウンターにはマスターが座っており、本を読んでいる。
 ミチルが勢いよく扉を開き、店内に鈴の音が響く。

ミチル  マスター、ただいまぁ! お客さん連れてきたぁ!
マスター おや、お帰りなさい、ミチル。

    ミチルに続いて良子が店内に入る。
    良子、店内に足を踏み入れた瞬間、驚きの声を上げる。

良子   えっ…?!

    マスター、読んでいた本を閉じて立ち上がる。

マスター ようこそいらっしゃいました。どうぞ、中にお入りください。
良子   あっ、どうも……?

    マスター、ミチルに近づき、脱いだコートを受け取りながら 

マスター 今回はずいぶん長かったですね。一体どこまで行っていたんです?
ミチル  え〜、よくわかんない! ヒトもクルマもいっぱいいた!
マスター そうですか。まぁ、無事で何より。
ミチル  マスターは?
マスター 私は何も変わりありませんよ。

    マスター、所在なさげに立っている良子に気づき

マスター おや、いかがされました?
良子   いや、あの……ここ、どこですか?
マスター (おどけた様子で)見ての通り、本屋ですが。
良子   そうじゃなくて! 私、ついさっきまでこの子と一緒に近所の歩道を歩いていたんですよ!! それが、角を曲がったら、突然ドアが現れて……!
マスター ほう。ちなみに、あなたはなぜこの子と一緒にいたのですか?
良子   おうちに帰るから、一緒に来て欲しいと……もう日が暮れますし、一人のようだったので、少し心配で……。
ミチル  (自慢げに)ふふ、優しいでしょ?
マスター そのようですね。ご親切に、どうもありがとうございました。
良子   あの、じゃあ、私はこれで……。

    良子、ミチルの手を解き、そそくさと帰ろうとする。

マスター あぁ、お待ちください。
良子   な、なんですか?
マスター この子をここまで送ってくださったお礼に、本を一冊、贈らせていただけませんか?
良子   えっ? 本? この本棚にある本ですか?
マスター そうです。この店にある本なら、どれでも構いません。いかがです?
良子   突然そんなこと言われても……これ、売り物ですよね?
ミチル  違うよ! ここにある本は、全部、ミチルが連れてきたモノのためにあるの!
良子   どういう……?
マスター なに、深く考える必要はありません。お好きな本を選んでください。きっと、あなたの役に立ちますよ。
良子   あの、お気持ちだけで結構です。私、急いでいるので……。

    良子、再びドアへ向かう。
    ミチル、良子の前に立ち塞がる。
    良子、ミチルをよけて外に出ようとするが、ミチルが邪魔をする。
    このやりとりを数回行う。

良子   ……。
ミチル  ……。

    ミチルは終始笑顔、良子は困惑の表情。
    良子、しゃがんでミチルと目線を合わせる。

良子   ねぇ、おばさん、帰ってもいいかな? これから大事な用事があるの。
ミチル  いいよ! ただし、本を選んだらね!
良子   いや、だから……(マスターの方を振り返って)あの、お孫さんなんですよね? 何とか言ってもらえません?
マスター 孫? いいえ、違いますが。
良子   えぇっ? そうなんですか? 私、てっきり……。
マスター 強いて言うなら、私が子どもですかね?
良子   はい?
マスター ちなみに、そのドア、危ないので今開けない方がいいですよ。おそらく、あなたがいた場所とは全く違うところにつながっているでしょうから。
良子   ……なんですって?
マスター 言葉通りの意味です。先ほど、あなたがご自分で言っていたじゃないですか。そのドアを開けたら見知らぬ場所……つまりここにつながっていたと。ならば、その逆もしかり。
ミチル  ここにはホントしかないからね。
良子   どういう……何の話をしているんですか?!
マスター 信じるも、信じないも、あなたの自由です。ただし、私としては、今、そのドアから出ることはお勧めしません。
良子   ちゃんと説明してください!
マスター 見ての通り、しがない本屋ですよ。
良子   ふざけないで! 早く私を元の場所へ帰して!
マスター おや、あなたがいた世界は、そんなに良い所だったのですか?
良子   ……!
ミチル  落ち着いて、リョウコ。リョウコはきっと、元の世界に戻れるよ。ただし……それには条件があるの。
良子   な、何で私の名前……!
ミチル  帰るための条件は、今のリョウコに話しても解らないと思う。だから、まずはこの店の本を手に取って欲しいの。
マスター 我々が選んでも、意味がありませんからね。
良子   あなた達、さっきから何の話をしているの…?! それに、条件って……!
マスター 本を手に取れば、全てがおのずと解るでしょう。
ミチル  さぁ。選んで、リョウコ。

    良子、しばし沈黙。
    ミチルとマスターはそれを見守る。
    良子、覚悟を決める。

良子   ……本を選べばいいんですか。
ミチル  そうだよ!
マスター おぉ! おわかりいただけましたか!
良子   わかるも何も、そうしないと、この状況はどうにもならないようですから……本当に、どれでもいいんですね?
ミチル  もちろん!
良子   じゃあ……これにします。

    良子、渋々といった様子で壁の本棚から一冊の本を選ぶが、表紙を見た瞬間、懐かしむような表情に変わる。

マスター ちなみに、どうしてそれを?
良子   えっ? う〜ん、そうですね……なんだか、懐かしい感じがして……って、おかしいですよね。初めて見る本なのに。
マスター いいえ。ここにきた方は、皆さん、同じようなことをおっしゃいますよ。
ミチル  ねぇ、早く読んでみて!
良子   えっ? 今? ここで?
ミチル  うん!
良子   ……そうね。じゃあ、1ページだけ……。

    良子、本の表紙を捲る。
    本が強く光り、周囲を照らす。

※      ※      ※

場所 ハツ子のアパートの台所

    テーブルにハツ子が座っている。
    良子は驚愕の表情を浮かべるが、ミチルとマスターは平然として良子の反応を見ている。

良子   お、お母さん!
ハツ子  久しぶりだねぇ、良子。また痩せたんじゃないのかい?
良子   (絶句)
マスター こちらは、お客人のお母様ですか?
良子   え、えぇ……でも、母は半年前に亡くなったはず……!
ミチル  これはね、全部、リョウコ自身なんだよ。

    良子、困惑。
    ミチル、無邪気にハツ子へ近寄る。

ミチル  こんにちは〜!
ハツ子  おやおや、元気がいいね。
ミチル  あなた、リョウコのハハなの?
ハツ子  ハハ? あぁ、母。そうだよ。私には子どもが三人いてね。良子は一番上の娘だよ。
ミチル  名前は?
ハツ子  ん?
ミチル  あなたの名前。ヒトには名前があるでしょ?
ハツ子  あぁ、ハツ子だよ。ハツ子。
ミチル  あはは! 変な名前〜!
ハツ子  おや、そうかい?
マスター こら、ミチル。失礼ですよ。
ミチル  リョウコ。ハツ子に言いたいことがあるのね?
良子   え? 言いたいこと……?
ミチル  そう。もしくは、強い想い。一番初めに出てきたからね。それだけ、リョウコの中で大きな存在ということよ。
良子   ……。
マスター つかぬことをお聞きしますが、お母様はどうして亡くなられたのですか?
良子   癌です。年末に体調を崩して、大きな病院で検査をしてもらったら、すい臓に大きな腫瘍が見つかって。
マスター ……そうでしたか。
良子   とても手術できる状態じゃなかったみたいで……結局、病名が分かってから四ヶ月後に亡くなりました。
マスター なるほど。それは大変でしたね。
良子   いえ……。
マスター どうかしましたか?
ハツ子  あぁ、このとおり、私は独り暮らしでね。体調を崩してからは、長男……この子の弟に世話になってたんだ。
ミチル  リョウコは? 何してたの?
良子   私は……。
ミチル  ……リョウコ。ここでは自分の心の「ホント」を話すのよ。
マスター そのための場所ですからね。
ミチル  ウソついても分かるの。だって、自分の心は、それがウソだって、絶対に知ってるんだもん。

    良子、しばし逡巡。意を決して話し始める。

良子   母とは、ここ数年、疎遠だったんです。私の家族のことで、少しぎくしゃくしてしまって……弟から病気のことを聞いた時も、会ったら喧嘩することがわかっていたので、どうしようか迷っていたんです。そしたら、あっという間に会話ができる状態じゃなくなってしまって、結局、そのまま……。
マスター それは心残りですね。
ミチル  (ハツ子に)なんで喧嘩したの?
ハツ子  この子の上の娘がね、交通事故で亡くなったんだよ。それから、この子は変わってしまってね。
ミチル  ふぅん? 変わったって、どんなふうに?
良子   お母さんには、関係ないじゃない!
ハツ子  私には関係なくても、みおが可哀想で、見ていられなかったよ。
ミチル  ミオ?
ハツ子  この子の下の娘だよ。
ミチル  へぇ〜。
良子   なによ、私が悪いみたいに言わないでくれる?! 悪いのは全部、さくらを殺した奴らじゃない!
マスター 殺した? 交通事故ではないのですか?
良子   ただの事故じゃない。学校や教育委員会がちゃんとしていれば、防げた事故だったのよ。さくらは、奴らに殺されたも同然よ!
ハツ子  ……まだ、さくらの裁判は続いているのかい?
良子   そうよ。なんの落ち度もないさくらが、なんであんな目に遭わなくちゃいけないの?! こっちの言い分が全部認められるまで、私は絶対に諦めないんだから! そのためなら、私はなんだって……!

    怒りを思い出し、徐々にヒートアップしていく良子。
    マスター、それを見て不思議な動きであたふたしている。
    ハツ子、憐れみの顔。
    ミチル、平然としている。

ミチル  リョウコ。それが、ハツ子に言いたいことなの?
良子   私のどこが間違ってるっていうのよ……!
ハツ子  私は、間違っているとかいないとか、そういう話をしているわけではないんだよ。
良子   じゃあ、何だっていうのよ!
マスター まぁまぁ、落ち着いて……深呼吸〜深呼吸〜。
良子   ちょっと黙って!
マスター はい……。
ハツ子  頑固なところは、相変わらずだねぇ……どれ、次のページをめくってごらん。自分の行動が、誰にどんな結果を及ぼすのか。その目で確かめるんだ。

  良子、常ならぬハツ子の異様な雰囲気に思わず仰け反る。

良子   な、何よそれ、どういう意味……。
マスター おや、もう次のページですか。
良子   話はまだ終わってない……!
ミチル  リョウコ。次のページよ。ハツ子がそう言ってる。

    良子、反論しようとミチルの方を向き口を開くが、有無を言わせないミチルに気圧される。
    良子、渋々次のページを開く。
    本が光り、みおが突然現れる。

良子   えっ……!

    みお、一目散にハツ子の元へ。

みお   おばあちゃん!
ハツ子  みーちゃん。まぁまぁ……! ずいぶん大きくなったねぇ。
マスター おぉ、あれが下の娘さんですね。

    みお、良子には目もくれず、ハツ子に抱きつく。

みお   ねぇ、今日のご飯なぁに?
ハツ子  何がいいかな? そうだ、みーちゃんの好きなオムライスにしようか!
みお   オムライス! ねぇ、おばあちゃん。私、最後にケチャップで絵を描いてもいい?
ハツ子  もちろんだよ。
みお   やったぁ! 楽しみ!

    良子、声を荒げる。

良子   みお! もうおばあちゃんが作ったご飯は食べちゃダメって言ったでしょ!!

    みお、驚いてハツ子の後ろに隠れる。

良子   なによ、これ見よがしに……! 私が家のことしてないみたいじゃない……! 私はお母さんとは違うんだから!
ハツ子  ……。
良子   私はちゃんとみおのことだって考えてるわよ! 今日だって、ちゃんと……! うぐっ……。

    良子、頭を押さえてうめき声を上げる。
    手に持っていた本が、いやな感じの強い光を放つ。

マスター あっ……!

    良子の身体がふらつく。

ミチル  リョウコ!

    良子、ミチルの呼びかけにハッと我に返り、ミチルとマスターを見る。夢から覚めたような表情。

マスター おぉ〜。
良子   あれ、私……? すみません……ちょっとめまいが……。
ミチル  ……。
マスター 今のはちょっと危なかったですねぇ。
良子   危ない? それってどういう……。

    マスター、慌てて口をつぐむ。

良子   何ですか? 隠してることがあるなら、ちゃんと言ってください!

    ミチルとマスター、目を合わせる。

マスター ……教えても?
ミチル  もちろん。
マスター 先ほどの現象は、「本との同化」と言われるものです。
良子   同化……?
マスター えぇ。ご自身の強い記憶や感情に飲み込まれて、本と一体化してしまうことです。そして、その本とが完全に同化してしまうと……。

    良子、固唾を飲んでマスターの言葉を待つ。

マスター あなたという個が消滅します。もう、元の世界には戻れません。
良子   (壁を埋めう尽くす本を見ながら)えっ! まさか、あの本全部……!
ミチル  違うよ。そういう本は、別の場所に保管してるから。でも……リョウコは、きっと大丈夫よ。
良子   何を根拠に……!
マスター まぁ、ミチルがそう言うのなら、そうなんでしょうけどね。
ミチル  ほら、ミオが何か言いたそうよ。

    みお、ハツ子の後ろから顔を覗かせる。

みお   ママ、今日は何時に帰ってくるの?
良子   えっ? えぇと、多分、九時過ぎには帰れると思うけど、話し合いが長引いたら、もうちょっと遅くなるかもしれないわ。
みお   ふぅん……。
良子   晩御飯はテーブルに置いてるし、棚にはお菓子もいっぱいあるでしょ? お金が足りなければ、引き出しのお財布に一万円札が入ってるし。
みお   うん……。
良子   今日はパパが早く帰ってくる日でしょ。(腕時計を見て)ほら、もうすぐじゃない。それまで、一人でも大丈夫よね?
みお   うん……。
良子   ……ねぇ、何度も言ってるわよね。ママは、お姉ちゃんのことで忙しいのよ。とっても大事なことなの。お利口なみおなら、分かるわよね?
みお   うん……。
良子   明日も学校でしょう。宿題は終わった? 行く用意は?

    みお、浮かない顔。
    良子、いらだちの表情で、何かを言いかける。

ハツ子  みーちゃん。
みお   え?
ハツ子  ママに、言いたいことがあるんじゃないのかい。
みお   ……(ミチルを見る)
ミチル  (うなずいて)大丈夫よ。自分を信じて。
みお   ……ママ。ページをめくって。

    良子、硬い表情でしばらく佇む。
    やがて、ため息をつき、意を決した様子でうなずく。

良子   ……分かったわ。
ミチル  リョウコ。
良子   何ですか。
ミチル  ありのままを受け入れて。そうすれば、自分を見失うことはないから。
良子   ……。

    良子、静かにページをめくる。

※      ※      ※

場所  みおの学校の校庭

    午後4時ごろ、学校のチャイムの音が鳴る。
   授業が終わり、ランドセルを背負った子ども達が校庭に出てくる。
   3人の子ども達が、一人で歩いているみおを見つける。

子ども一 あ、あいつ……。
子ども二 あ〜!
子ども三 ん? あぁ、先週転校してきた子? どうかしたの?
子ども一 お前、知らないのかよ!
子ども二 テレビで見たことないか? 「なぜさくらは死ななくてはいけなかったのですか?! 教育委員長ぉ! 答えてください! 教育委員長ぉ〜〜!」って叫んでるおばさん。
子ども一 ギャハハ! お前、そっくりじゃん!
子ども三 あぁ! 知ってる!
子ども二 あいつ、あの「光井さくら」の妹なんだぜ。
子ども一 親が学校とか訴えてさ、元の学校に居られなくなって、ここに転校してきたんだんだって。
子ども三 へぇ〜……ただの交通事故じゃないんだっけ? 母さんは、言いがかりだって言ってたけど……。
子ども二 一緒に帰ってた同級生も訴えたんだってさ!
子ども一 こわ〜! 近寄ったら俺たちもヤバいぞ!
子ども二 訴えられるぅ〜!
子ども三 やめなよ。そんなこと言うの……。
子ども一 あっ、こっち見たぞ!
子ども一 逃げろ〜! あはは!
子ども三 あ、待てよ! 置いていくなよ〜!

    良子、呆然と立ち尽くす。

マスター ……子どもの世界は残酷ですね。
ミチル  そうね。子どもには、従うべきルールが少ないから。
ハツ子  みーちゃん。明日も学校へ行くのかい。
みお   ……うん。
マスター なんと! あんな場所に自ら行くと……! もしやマ……。
ミチル  マスター、ちょっと黙って。
マスター はい。
みお   ママは、お姉ちゃんが死んじゃって、悲しんでるから、みおが学校に行かなかったら、もっと悲しむから……だから……。

    マスター、ハンカチで涙を拭う仕草。
    ミチル、視線で非難。
    マスター、慌ててハンカチをしまう。

ミチル  リョウコ。
良子   ……。
ミチル  分かるわね?
良子   ……。
ハツ子  これは、あんたの心だから、真実じゃあないよ。だけど……。
ミチル  リョウコは、この子が学校でこんな目に遭っているかもしれないと、心のどこかで考えている……。
ハツ子  それでも、あんたはみおに学校へ行けと言う。みおの母親を思う気持ちを利用して……残酷だね。
みお   ママ。ママは、みおが学校でイジメられてるの、知ってるの?
良子   違う! いい? よく聞いて、みお。ママはお姉ちゃんのために、正しいことをしてるだけなの。私たちはなんにも悪くないのよ。だから、みおも学校で堂々としてればいいの。間違ったことを言ってくるやつらなんかに負けちゃダメ!
みお   ひどい……! 私、ママのために我慢してたのに……!
良子   違う、そうじゃないったら……!
みお   私、学校なんて行きたくない!
良子   なんてこと言うの?! お姉ちゃんはもうどんなに行きたくても行けないっていうのにッ!
みお   お姉ちゃんのことは、みおにはなんの関係もないじゃない!
良子   ちょっと待ちなさい、みお!
ハツ子  みーちゃん!

    みお、走り去る。
    ハツ子、みおを追いかけて去る。
    良子、追いかけようとするが、自分の足につまずいて転ぶ。
    その拍子に、本が手元から離れる(ページは動かない)

マスター おや、登場人物がいなくなってしまいましたね。

ミチル、本を拾ってリョウコに差し出す。

ミチル  次のページをめくって、リョウコ。

    良子、打ちひしがれて本には目もくれず、

良子   ……嫌です。
マスター おやおや……。

    良子、首を振る。

良子   どうせまた、誰かが私を責めるんでしょう。もうたくさん……。
ミチル  あなたの心と向き合えるのは、あなたしかいない。この本は、そのためにあるんだよ。
良子   私は……私は間違っているんでしょうか……。
マスター お母様がおっしゃっていたじゃありませんか。そのような問題ではない、と。
ミチル  そう。ヒトには、元々、物事を正しく見る能力なんて備わっていないの。だから、正しいとか、間違っているとか、そんなことは、考えてもあまり意味がないんだよ。
マスター ヒトは、概念がずば抜けて発達している生き物ですからねぇ。だから、たかだか数十年の寿命なんかにこだわるんですよ。大体……。
ミチル  マスター、黙って。
マスター はい。
ミチル  リョウコ。今のあなたには、これが必要なことなの。あなたも、それに気づいているはず……そうでしょ? だから、私は、あなたに会えた。
良子   ……怖い。
ミチル  (笑顔で)そうよ。ありのままの自分と向き合うのは、とっても怖いことなの。でもね、ミチルにはわかるの。
良子   何が……?
ミチル  リョウコは、それを乗り越えて前に進んでいける、強いヒトだってこと。

    良子、ミチルの慈愛の表情に神性を垣間見る。

良子   あなた……あなたは……一体、何者なの……?
ミチル  今は、リョウコの物語を進める時間だよ。さぁ、受け取って。

    良子、覚悟を決めてミチルから本を受け取り、自分で立ち上がる。
    ミチルの視線に促され、ページをめくる。

※       ※       ※

場所 小さなボロいアパート

    パジャマ姿の小さい頃の良子と、派手なコートを着た若いハツ子が現れる。
    良子、ミチル、マスターが少し離れた場所から二人を見守っている。

良子(子) お母さん、また仕事に行っちゃうの?
ハツ子  そう。朝には帰ってくるから。もし誰かが来ても、絶対に開けないようにね。健と香澄のこと、頼んだわ。お姉ちゃんなんだから、しっかりね。
良子(子) 分かった……。
ハツ子  いい子にしてるのよ。
良子(子) じゃ、行ってくる。
良子(子) うん……いってらっしゃい……。

    ハツ子、仕事へ出かける。
    幼い良子、心細そうな姿。

マスター どなたですか?
良子   ……母と、幼い頃の私です。
マスター 先ほどのお母様ですか! なんだか印象が違いますね。
良子   両親は、私が6歳の時に離婚したんです。それから再婚もせず、女手ひとつで私たち3人を育て上げました。
マスター そうなんですか。きっと大変なことだったでしょうね。
良子   えぇ。母はいくつも仕事を掛け持ちしながら、朝から晩まで働いていました。昔のことですから、周りからいろんなことを言われていたと思います。そのせいか、母は人一倍負けん気の強い人でした。
マスター (小声で)なるほど。母親譲りでしたか。
良子   え?
マスター あぁ、いえ、こちらの話です。
健    おねぇちゃん。
良子(子) ん?
健    おかぁさんは……?
良子(子) もう出たよ。お仕事に行っちゃった。
健    おかぁさん、明日の運動会、忘れてないよね……?
良子(子) ……分かんないよ、そんなの。
健    えぇ?! おねぇちゃん、ちゃんと言ってくれたんでしょ?!
良子(子) 言ったよ! ……でも、お母さん、忙しいし! 仕方ないじゃない!!

    健、泣き出す。
    奥から香澄の泣く声が聞こえてくる。

良子(子) あぁ、香澄が起きちゃったじゃん! もぉ! 

    良子、健を両手で押す。
    健、倒れる。激しく泣く。
    その時、電話が鳴る。
    良子、飛びつく。

良子(子) あ、お母さん?! あのね、香澄が起きちゃって……。
元夫   (酒を飲んで呂律が回っていない様子)おぉ、良子か! お母さんはいるか! 俺から逃げようたって無駄だからな! 今どこだぁ?!
良子(子) きゃぁ!

    幼い良子、悲鳴をあげて電話を投げ捨てる。
    健と香澄の泣き声。
    幼い良子、どうしようもなくなり、立ち尽くす。

良子(子) 怖い……! 誰か、誰か助けて……!

    ずっと子どもの泣き声が続いている。
    良子は静かに涙を流している。

良子   ……私。

    マスター、良子を見る。
    良子、涙をぬぐって、

良子   私、幼い頃からずっと「普通の家」に憧れていました。お父さんは会社員で、お母さんは専業主婦か夕方までのパート。歳の近いきょうだいとは、家に帰ってからおやつの取り合いなんかして、台所で夕飯を作ってるお母さんに宿題しなさいって怒られる……口にすると、我ながら何て陳腐な夢なんだろうと、笑っちゃうんですけど。
ミチル  笑わない……笑わないよ。

    良子、小さく数度、頷く。
    壁がドンドンと数回、強く叩かれる。

隣の人 (声のみ)おい、うるさいぞ!!

    良子(子)、ハッと立ち上がる。
    奥にいるきょうだいの元へ駆け寄る。

良子(子) ちょっと、静かにして! 静かに!

    良子(子)の姿が消えていく様子を、良子達が目で追う。
    泣き声が徐々に小さくなっていく。

良子   ……まぁ、今どき、そんな家庭の方が珍しいんですけどね。
マスター へぇ、そうなんですか? 以前いらしたヒトは、まさにそのような家族構成でしたよ。ねぇ、ミチル。
ミチル  どの本のこと?
マスター ほら、青くて大きな……(手を大きく回す仕草)
ミチル  (笑いながら)あぁ! 確かに。そう言ってたね!
マスター あなたとそう変わらない格好をしていましたから、同じ時代の方じゃないかと思うのですが。
良子   それ、少し前の時代じゃないですか? 私が生きている時代は、共働きが多いんです。付き合っていた彼氏にこのことを言ったら、「いつの時代だよ」って笑われました。
マスター ほう。失礼な輩ですね。
良子   そっちの反応が普通なんですよ。でも、私にとっては絶対に譲れない条件だったので、高校卒業後もなかなか結婚までたどり着かなくて……そんな時、今の夫と出会ったんです。

    良子、ページをめくる。

※      ※      ※

場所  良子のアパートのリビング

    良子、ミチル、マスターが立っている。
    テーブルには、みおのために準備した晩御飯が、手付かずのまま残っている。
    リビングにある棚には、さくらの遺影と骨壷が置かれている。

良子   あら。ウチのリビングだわ。さっき出てきたまま……。

    (現在を反映した)耕平が現れる。
    良子の顔が明るくなる。

良子   あっ! こう……。(こうちゃんと呼びかけようとした)

    耕平、良子を見て顔を曇らせ、足を止める。
    良子、それを見てショックを受けた様子。
    耕平、良子に背を向けて引き返そうとするが、思いとどまり、良子に向き直る。

良子   ……。
耕平   ……。
良子   ……最近、忙しいみたいね。久しぶりに、まともに顔を見た気がする。
耕平   ……それは、お互い様だろう。
良子   ……そうね。
耕平   ……。

    マスターが気を利かせて何か言いかけるが、ミチルが止める。
    二人は気づかず、会話を続ける。

耕平   気づいていると思うけど、良子がこのまま変わらないなら、俺は……この家を出ていく。みおを連れて。
良子   そんな……! だって、だってさくらが……! あの子がかわいそうじゃない! あなたはなんとも思わないの?!
耕平   思わないはずないだろ! 自分の子どもが死んで、大丈夫な親がどこにいるんだよ! 俺がそんな薄情な男に見えるのか?!

    良子、耕平の剣幕にたじろぐ。

良子   ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……。
耕平   俺だって、最初の頃はさくらを轢いた運転手や、一緒に帰ってたクラスメイト達を恨んだよ。何かが少しでも違っていたなら、さくらは死なずにすんだのに……って。
良子   だったら……!
耕平   でもなぁ、さくらが死んだ後のお前を見てたら、なんだか……もうどうでも良くなったんだ。
良子   ……どういうこと?
耕平   お前は、自分が何をしているのか、わかってるのか?
良子   当たり前じゃない! 何度も言わせないで。私はただ真実を明らかにしたいだけよ。なぜ何の罪もないさくらが死ななくちゃいけなかったの? 私はその理由が知りたいの。親として当然のことでしょ?
耕平   それで?
良子   それでって……。もちろん、原因を作った奴らには、責任をとってもらうわ。しかるべき罰を受けてもらう。私は、そのために戦ってるんだから。
耕平   例えば、それが全て叶ったとして、お前は満足なのか?
良子   満足って何よ?! 私はただ、それが正しいことだと思うから、そう行動してるだけじゃない!
耕平   その結果、お前が独りになってもか? 俺とみおは、もうお前の考えについていけない。
良子   ……。
耕平   お前の行動の根源は、怒りと憎しみだ。それがいい結果を生むとは、俺にはとても思えない。お前はただ、自分が思い描いていた「理想の家庭」を築けなかったという怒りと憎しみを、周囲に撒き散らしているだけだ。裁判云々は、ただの方便に過ぎない。

    良子、耕平の言葉に驚愕する。

良子   あなた、それ、本気で言ってるの……?
耕平   俺にとっての真実は、さくらが……俺の可愛い娘が死んだ。それだけだ。お前の言動がマスコミに取り上げられ始めてから、俺もみおも、気が休まる時がない。いつ誰に何を言われるのかと、ビクビクしながら生活してるんだ……もう、疲れたよ。
良子   そんな……。
耕平   お前さえいなければ、俺たちは元の平穏な生活に戻れる。世間は、事故のことなんてすぐに忘れるさ。そうすれば、俺たち家族はさくらを亡くした哀しみと向き合いながら、静かに暮らすことができるんだ。お前さえいなければ……!

    良子、よろめく。

耕平  俺はな、今となっては、さくらを轢いた運転手より、お前の方が憎いよ。良子。

    良子、昏倒する。
    その拍子に本が落ちる。
    ミチル、駆け寄る。

    良子、焦点の合わない目で虚空を見つめている。

ミチル  リョウコ! しっかりして!
マスター 意識が混濁しまっていますね。
ミチル  マスター。本を。

    マスター、渋る。

ミチル  大丈夫。干渉はしないから。
マスター ……この前も、そう言ってませんでした? 結局バレて、怒られてたじゃないですか!
ミチル  大丈夫! 今度はもっと上手くやるから!
マスター 全然懲りてない!
ミチル  もう、マスター早く!
マスター はいはい。どうせ、私の言うことなんて、聞きやしないんですからね……。

    マスター、ミチルに本を渡す。
    ミチルが本を手に取ると、ページが勝手に捲れていく。

ミチル  怒りと憎しみは、あなたじゃない……思い出して、リョウコ。本当のあなたを。

    周囲がまばゆい光に包まれる。

※       ※       ※

場所 カフェのテラス

    若かりし日の良子と耕平が、向かい合ってテーブルに座っている。
   テーブルの上には、不動産会社のパンフレットが広げられている。

耕平   回った中では、二件目がいいと思ったけど。どう?
良子   そうね。会社も近いし。最初のところも良かったけど……。
耕平   そう? ちょっと広すぎない?
良子   まぁ、その分、家賃も高いしね。来週には、決めて不動産屋さんに連絡しないと。いいところはすぐに埋まっちゃうから。
耕平   結婚式の招待状のリストも作らないとな。
良子   身内だけの小さい式だから、すぐに済むわよ。やることが多くて、何か忘れてそう。ちょっと不安だわ。
耕平   次の検診はいつだって?
良子   もう少し先。今月の十五日。
耕平   その時には性別がわかるんだっけ?
良子   う〜ん、どうかなぁ。一応聞いてみるけど、まだ先じゃない?
耕平   そっかぁ〜。

    耕平、しみじみと幸せそうな様子。

良子   なによ。どうしたの?
耕平   いや、いよいよだなぁ〜って思ってさ。
良子   なにそれ。
耕平   ついに俺にも、家族ができるんだなって。
良子   伯父さん達は? 家族じゃないの?
耕平   いやぁ、伯父さんにはここまで育ててもらって、すごく感謝してるし、とってもいい人達なんだけどさ……やっぱり、どこか本当の家族じゃないっていう負い目みたいなのがあって……まぁ、自分で勝手にそう思ってるだけなんだけどさ。
良子   ……そっか。
耕平   本当に、良子と出会えて良かった。ありがとう。
良子   えぇっ! やだ、やめてよ、こんな場所で……。私こそ、わがまま言って……。
耕平   仕事のこと?
良子   うん。
耕平   いいよ。良子が家のことに専念したいっていう気持ちは、よくわかってるつもりだからさ。
良子   私は誰かの犠牲の上に成り立つような、そんな悲しい家庭は作りたくないの。みんなが明るく笑って過ごせる、幸せな家庭を作りたい。
耕平   うん。俺も同じだよ。たとえどんなことがあっても、二人で力を合わせて、頑張っていこうな!
良子   えぇ。私も、こうちゃんと会えて良かった。私にはもったいないくらい……。
耕平   わはは、何か照れるな!
良子   そうね。この話は、もう終わりにしましょ。さ、これ食べたら、次は夕飯の材料を買いに行かなくちゃ。
耕平   良子の料理は美味いからなぁ!
良子   新しいアパートに引っ越したら、もっとちゃんとした料理が作れるようになるわよ。
耕平   そりゃ楽しみだ! でも、良子は自分の身体を大事にしてくれよ。
良子   ありがとう。頼りにしてるわ、お父さん。

    耕平と良子、楽しそうに食事を続ける。
    徐々に舞台が暗くなる。

    結婚式、出産時の映像が走馬灯のように流れる。

    産院からの帰り道、生まれたばかりのさくらを抱いた良子と耕平が並んで歩いている。歩道には満開のさくらが見事に咲いている。

耕平   あのさ、この子の名前なんだけどさ……さくらっていうのはどうかな。
良子   ……もしかして(上を見上げる)
耕平   いやいや、別に今これを見て思いついたんじゃなくて! 前からちゃんと考えてたんだ! みんなに親しまれて、華やかだけど、上品で……将来、そんな女性に育ってほしいなぁ〜と思って……。
良子   いいわよ。
耕平   そうだよな。今どきこんな……え?
良子   自分が言っておいて、何でそんなに驚くの? いいんじゃない。さくら。私はいいと思うけど。
耕平   本当か?! じゃあ、さくらで! この子はさくらだ! お〜い、さくら。元気に大きくなれよ!
良子   何それ。華やかで上品な女性じゃなかったの?
耕平   まずは健康が第一だからな!

    良子の笑い声。徐々にフェードアウトしていく。

※       ※       ※

場所 ミチルの本屋

    耕平、倒れた良子を抱き止めている。(この耕平は、良子に憎しみをぶつける現在を反映した耕平ではなく、良子が前記の過去を思い出して再構築した優しい耕平)
    ミチルとマスターは少し離れたところで見守っている。

耕平   良子! 良子!

    良子、目を覚ます。

良子   こうちゃん……。
耕平   良かった。大丈夫か⁈
良子   私……こんなに優しい人に、あんな悲しいことを言わせてしまったのね……。
耕平   子どものことならともかく、俺のことで泣くなよな! ほら!

    耕平、良子にハンカチを渡す。
    良子、涙を拭う。

良子   ごめんなさい……私、約束したのに……明るく、幸せな家庭を作るって……それなのに……。
耕平   いいよ……思い出してくれたんなら、それで十分だ。
良子   あなたや、みおに、辛い思いをさせて……。
耕平   なぁ、良子……真面目で責任感が強いのは、良子のいいところだよ。ただ、それがどこに向かっているのかを、よく考えて欲しいんだ。良子が本当に欲しいものは何だ?
良子   (悩んで、絞り出すような声で)あなたと、さくらと、みおで、また一緒に……事故の前のように、暮らしたい……。
耕平   それは無理だよ。わかってるだろう?

    良子、首を横に振る。

良子   憎い。許せない。私の幸せを奪ったやつらが……!
耕平   そうだな。俺もそう思うよ。でも、さくらが死んだという現実は、誰にも変えることはできないんだ。現実を変えられるのは、今を変えられるのは、生きているものだけなんだから……良子は、生きてるだろう。
良子   生きてる……。
耕平   そう。俺も、みおもだ。良子が欲しかったのは、幸せで明るくて、誰も犠牲にならない、そんな家庭だろう? それを、生きている俺たちで、作っていくんだよ。それが、俺たちにできること。俺たちにしかできないことなんだよ。

    ミチル、良子に近づき、本を渡す。

ミチル  はい。あなたの本よ。
良子   ……これは、私の記憶ですか?
ミチル  う〜ん、もっと正確にいうなら、「あなたに蓄積された情報の全て」……かなぁ? あなたが忘れてしまったことも、普段は表に現れないような無意識も、思考も、感情も、全てがこれに詰まってるの。
マスター でも、それがあなた自身ではないということも、これまた確かな事実なのですよ。
良子   ……次のページをめくってみてもいいでしょうか?
ミチル  もちろん!

    良子、ページをめくる。

    ランドセルを背負ったみおが現れる。俯いて、悲しげな顔であてどなく歩き回っている。
   迷子で、行き場所を探している様子。

良子   ……みお。
みお   あれ、ママ! どうしたの? こんなところで。
良子   みおこそ。何してるの?
みお   みお、おうちに帰りたいんだけど、おうちがどこにあるか、わからなくなっちゃったの。

  良子の後ろから耕平が現れる。
  
耕平   ……そっか。じゃあ、パパとママと、三人で一緒に帰ろうか!
良子   それなら、迷わないでしょう?

    みお、明るい顔で良子の胸に飛び込む。

みお   本当?! みお、おうちに帰れるの?!
良子   ……ごめんね。
みお   なんでママ、泣いてるの?
良子   ううん。何でもない……帰ったらみおの好きなオムライスを作るわ。絵でもなんでも、描いていいよ。それで、お風呂に入ったら、今日はママとパパと、一緒に寝てくれないかな? 何だか、寂しくて。
みお   いいよ! みおも、あのお部屋で一人で寝るの、寂しかったから……。
耕平   よし、明日は電車に乗って遊園地に行こうか! この前、みおがテレビで見てたとこ!
みお   えっ! 明日、学校だよ?

    みお、良子を不安そうに見る。

良子   学校は、しばらくお休みすればいいわ。先生には、ママから言っておくから。

    みお、まだ不安そうな顔。

みお   でも……ママ、怒らないの?
良子   怒らない。
みお   ……本当に? 嘘じゃない?
良子   えぇ。嘘じゃないわ。
耕平   楽しみだなぁ、みお!
みお   ……うん!

    良子、ミチルとマスターを見る。

良子   あの……もう一枚、ページをめくってもいいでしょうか。
マスター もちろんですよ! いちいち、私たちに許可を取る必要はありません。それはあなたの本なのですから。

    良子、ページをめくる。
    ハツ子が現れる。

良子   お母さん。
ハツ子  うん?
良子   あのね。私、お母さんが大嫌いだった。親になったら、絶対にお母さんみたいにはなるもんか! って……それだけを考えてた。
ハツ子  あはは! まぁ、お世辞にもいい母親とは言えなかったからね……。
良子   でも、お母さんだって、辛いことも、我慢したことも、たくさんあったよね。精一杯、頑張ってくれてたんだよね。私は自分のことばっかり考えてて、お母さんを悪者にして……。
ハツ子  やめておくれ。私はただ、あんたやみおが幸せに生きてくれたら、それで十分だよ。
良子   うん。
ハツ子  あんたは何でも頑張りすぎるんだ。もっと肩の力を抜いて、気楽に生きな。
良子   うん。
ハツ子  耕平さん。
耕平   はい!
ハツ子  この子を頼むよ。すぐに無理をするからさ。よーく見張っといてくれ。
耕平   はい……任せてください。
良子   今までありがとう、お母さん。生きてる時に言えなくて、ごめんなさい……。
ハツ子  本当に真面目な子だねぇ……私の子どもとは思えないよ。こちらこそ、ありがとう。いい子ども達に囲まれて、でき過ぎた人生だったよ……じゃあね。元気で暮らすんだよ。
良子   お母さん……!

    ハツ子、姿が見えなくなる。

耕平   俺たちも、もう行かないと。
みお   ママは……?
良子   大丈夫よ。すぐに追いかけるから。
耕平   ほら、行こう。
みお   早く帰ってきてね! 待ってるから! 絶対だよ!
良子   えぇ。

    耕平とみお、姿が見えなくなる。
    良子、満足げな顔でミチルに本を見せる。

良子   どうやら、終わったようです。もう、めくるページがありません。
ミチル  ……そう。
良子   これで、私は元の世界に帰ることができるんですね。
ミチル  その通りよ。今、あの扉はあなたの世界と繋がった。
良子   えぇ……何となく、わかります。
マスター その本を使って、亡くなったお子さんに会いたいとは思いませんでしたか?
良子   思いましたよ。当然でしょう? 一度だけでいい。あの子をこの腕で抱きしめることができたら……でも、それは今の私には必要のないことなんだと、この本が教えてくれた気がします。
ミチル  ……やっぱり、リョウコは強いね。
マスター さぁ。出口が安定しているうちに、お帰りになった方がいいでしょう。まぁ、多少の時空の誤差はあるかもしれませんがね。
良子   えぇっ?
ミチル  大丈夫よ。ヒトが気づくような誤差じゃないから……多分!
良子   (ため息)突然連れてこられたと思ったら、帰りはこれですか……。
マスター まぁまぁ、そう言わず。
ミチル  ……迷惑だった?
良子   今さらそれを聞くの? ……いいえ。あのままだったら、私はどんな苦難の道を歩いていたことか。ありがとう。ここに連れてきてくれて。
ミチル  ……良かった。
マスター あぁ、一つアドバイスするなら、出口はあなたの意識と繋がっていますから、ここに来る前、できれば直前のことを強く念じていれば、そうそう変なところへは飛ばないはずですよ。
良子   それはご親切にどうも……。

    良子、ドアノブに手を掛ける。

良子   ……あの。
ミチル  何?
良子   最後に一つだけ、聞いてもいいでしょうか。
マスター えぇ、もちろんです。なんでもどうぞ。
良子   私……死ぬんですか?

    ミチルとマスターが顔を見合わせる。

マスター ……というのは?
良子   いえ、こんな不思議な経験をするのは、死ぬ前だからなのかな、と。
マスター これはこれは……おかしなことをおっしゃいますね、お客人。始まりの時以来、死ななかった生命はいませんよ。
良子   そうではなくて……。
マスター まぁ、おっしゃりたいことは分かりますがね。
ミチル  ごめんね。それは、ミチルには分からないの。ミチルとリョウコは、違う理で生きているから……。
マスター そもそも、ヒトの一生は一瞬です。私どもから見れば、あなた方はいつでも死ぬ前、死ぬ直前なのですよ。それが長いか短いかは、ヒトの基準でしかありません。
ミチル  だからね、ここから出たら、すぐに行動して欲しいの。リョウコと、あなたの家族が、本当に幸せに生きるための行動を。リョウコは強くて優しいヒトだから、ミチルはリョウコに幸せに生きて欲しいと思ってるの。
良子   ……わかったわ。約束する。
マスター さて、ミチル。他にお客人に言い残したことはあるかな?
ミチル  う〜ん。

    ミチル、長考。
    マスターと良子、静かに見守る。

ミチル  ないっ!

    マスターと良子、顔を見合わせて笑う。

良子   あ、この本……。
マスター どうぞ持って帰ってください。あなたの世界では、読めないとは思いますが……それでもよければ。
良子   ありがとうございます。持って帰ります。
ミチル  ミチルのこと、忘れないでね!
良子   えぇ、これを見るたび、きっとあなた達のことを思い出すわ。
ミチル  ばいば〜い!
マスター お元気で。そして、どうかお幸せでありますように。
良子   えぇ……(ミチルに向かって)ありがとう。(マスターに向かって)ありがとうございました。では、二人ともお元気で……さようなら。

    良子、ドアを開けて元の世界に戻る。
    ミチルとマスター、しばらくドアを見つめる。
    ミチルのお腹が鳴り、ミチルがお腹を押さえる。

ミチル  うぅ……。
マスター さてと、私もお腹が空きましたね……おやつに、何か作りましょうか。
ミチル  タピオカ‼︎ ミチル、タピオカミルクティーが飲みたい‼︎(ここにはその時流行りの食べ物を入れる)
マスター (怪訝な顔で)タピ……? なんです?
ミチル  ぶよぶよ? もちもち? した丸くて黒い玉が入った飲み物なんだよ‼︎
マスター えぇ、美味しいんですか? それ。
ミチル  甘くて美味しい‼︎ マスター、知らないの?
マスター 知るわけないでしょう……私は、ここから出たことがないんですから。 
ミチル  じゃあ、ミチルが教えてあげる! あのねぇ……。

    ミチルとマスター、会話をしながら退出。