Hello, World. 私は元気です。無事(?)に仕事は納めてきましたが、あと1週間足らずでお正月だということが信じられません。あっという間すぎません???

1年前のお正月、トースターに入れていた餅が膨らみすぎて上部の電熱線に接触し、軽く火事になったことがまるで昨日のようです。まぁ、それだけ衝撃的だったんでしょうね!(他人事みたいに言う)

ちなみに、トースターの中で発火した場合は、扉を閉じて空気を遮断し、炎が消えるのを待つのが鉄則だそうです。私みたいに慌てて開け閉めしたら、炎が大きくなってしまうので注意が必要です。(※そもそも、オーブントースターに書いてある設定温度と時間を守ればそんなことにはならない)

さて、新年といえばカレンダーですよね!

私はここ数年、毎年同じカレンダーを買っています。ホールマークのハーブカタログというシリーズの卓上カレンダーです。机の上に置いていても邪魔にならない小ぶりなサイズで、水彩で控えめに描かれた植物の絵に癒されます。

家族には「毎年同じカレンダーで飽きないの?」と聞かれますが、今のところ大丈夫そうです。

というか、このカレンダーは飽きるとか飽きないとかの次元にない気がしている。私にとって、気にいるとか気に入らないとかの判断がいらないモノです。

目に入っても思考が発生しないというか、邪魔にならないんですよね。

それだけ私に合っているということなのでしょう。まぁ、来年(いや、再来年か)には気が変わって、全く別のカレンダーを買っているかもしれませんがね!(予定は未定)

職場の机に置いているのは、とある取引先(仮にA社としよう)からもらうシンプルな卓上カレンダーです。

こちらも毎年同じものを使っています。イラストはもちろん、写真も入っていません。でも、月毎にインデックスがあるのでめくりやすく、最後のページには今年と来年のカレンダーの一覧まであり、まさに完璧なんです!

そして、私的に一番ポイントが高いのは、「六曜が入っていない」というところ。

信じられないと思うんですけど、企業からもらう卓上カレンダーには、ほとんど六曜が入っているんですよ。信じられないと思いますけど(二度言う)。もちろん、プライベートで使っている先のハーブのカレンダーにも六曜は入っていません。

私は占いに興味があるわけでもなく、頻繁にお葬式があるわけでもなく、宝くじを買うわけでもないので、毎日見るカレンダーに六曜が入っていると、目障りでしょうがないんですよね。

ふと「今日は友引か〜」なんていう思考が発生してしまうのが煩わしいことこの上ない。なので、私はこの時期になると、A社からの卓上カレンダーを今か今かと待ち構えています。

過去に一度、A社の卓上カレンダーがどうしても見つけられなかった(※取引先からもらったカレンダーは、全て段ボールに入れてフロアの片隅にまとめてある)ので、しかたなく別会社のものを使おうとしたことがあります。

似たようなシンプルなものを見つけたはいいものの、やっぱり六曜がある。あまりにも邪魔すぎたので、とりあえず1月と2月の六曜を全て修正液で塗りつぶしました(過激すぎる)。後に、無事にA社のものを見つけたので、それは捨てましたけど。

でも、同僚に「この六曜って邪魔だよね〜」と言ったら、「カレンダーに六曜があるかどうかを気にしたことがなかった…」と言われました。衝撃。マジで?? あんな邪魔なのに???

手帳は、プライベート用に2年連続で同じものを買っています。高橋書店の「torinco 8」です。

この手帳は、1週間が見開きになっていて、1日分のスペースが大きいタイプです。絵を描いたりできるフリースペースと、文字が書ける罫線の部分があります。スケジュール帳というより、日記帳ですね。

買ってしばらくはやる気に満ちているので、いそいそと絵を描いたり(36色ペンまで購入した)、その日の出来事や感じたことを書いたりするんです。

でも、しばらくして目新しさがなくなる頃に、ふと「果たしてこれにいったい何の意味が…?」と我に返ってしまう瞬間が来て、パッタリと描かなく(書かなく)なってしまうんです。ずっとこれの繰り返し。なので、手帳はほぼ真っ白です。

なぜ毎度こうなるのだろうと理由を考えてみたんですけど、私にはある能力が欠けているからじゃないかと思いました。

それは「過去の日記を読み返す能力」です。いや、能力ってなんやねん! お前がただ自分の意思で読み返すかどうかって話やろが〜い! って感じなんですけども。

私はこれができないというか、むしろ過去の日記なんて読み返したくない。忘れてるなら、今の私に必要がないことだから、わざわざ思い出す必要性を感じないし、むしろ有害じゃないかとすら思う。

日記を読み返してみて、「あ〜、こんなこともあったな〜! 確かに楽しかったわ〜!」みたいなことも一切ありません。

なぜかよくわからないんですが、どんなに楽しいことを書いていても、「あ〜、この時の私はこんなことに喜んでいたのか…(呆れ)」ってなるし、その時の考えや気持ちを書いていたら、「こんなことを考えて(感じて)いたのか…(冷めた目)」ってなるんですよ!

当時の自分の気持ちや考えが、全く再現・理解・共感できないんです。いや、全くと言うと言い過ぎか。確かにそう思った記憶(情報)はあるんだけども、心が揺さぶられないというか…? リンクできない…?

未熟な自分を突きつけられてる感じがするのかなぁ…? 過去の自分を受け入れられない…? なんか違う気がする…。ムズカシ〜! 上手く感じ取れない&言語化できない!!

結局のところ、私にとって日記とは書くという「今」の行為の面白さのためだけにある。だから、それが感じられなくなってしまったら、その瞬間からパタっと真っ白になってしまう。

逆に、後から「過去」を見返すためという「未来」の目的がある人は続けられるのだろうと思います…ってなんかいいこと風に書いてみたけど。どうですか?(知らんがな)

ちなみに、このブログのタイトルにも「日記」という言葉が入っていますが、ここは私が「世界」から受け取って感じたことを「世界」に返して読んでもらうという全く別の目的があります。だから、今のところ続いています。ちなみに、私は投稿したものはほぼ見返しません。

「新年といえばカレンダーと手帳だよな〜!」という軽いノリで書き始めたんですが、なんだか変なところに着地してしまいました。まぁいいか。

じゃあ、また。